sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

最初から先端を走っていたPokémon

コンテンツビジネスとテクノロジーが結び付いてから、発表会を開く企業が次々と、かつての(そして今も続く)アップル的な発表をするようになって長い。その形式はどれも似通っている。壇上に上がり、悠然とプレゼンをする。片手には製品を持ち、聴衆(という名のいくばくか息のかかった者を紛れ込ませたプレス)に向かって語りかける。理念を語り、本体の姿をなかなか見せず、焦らした後にVTRへ切り替える。映像が終わると拍手と感嘆のなか、登壇者は舞台上で、微笑みながら頷いて立っている。いかがでしたでしょうか。という顔で。こう書くとなにかのセミナーっぽい。

 

Pokémonなどの親しみやすいコンテンツで、このプレゼン手法が採用されることには違和感がある。Pokémonは私たちが小さな頃から、アニメや手のひらサイズのゲーム機、そして今はスマホの中と、暮らしに絡みながら離れずにいた暮らしの一部だ。よくできたエンターテイメントは暮らしに溶け込む。アップルやTEDスタイルの発表会は、どうも合わない。

 

合わないことは、Pokémon側もわかっているはずだ。だけれどこの発表会は、世界企業として投資家や提携企業、技術者に向けて必要なものなのであって、ゲーマーやアニメ、サブカルチャー好きに向けたものではない。私たちが日々接してきた愛らしい、記憶のなかのポケモンとの記憶共有者にとって必要なものではないのだ。私たちは、こういうテクノロジーや資金、資産運用で凌ぎを削る世界からは解離した、一消費者でしかないのだ。私たちにとって発表会はイレギュラーな場で、それは一般人も見ることができる状態になったバックヤードでの、企業戦争の場である。

 

Pokémon GOは、本来殺伐とした、位置情報で遊ぶソリッドな情報収集収ゲームを可愛らしく変貌させた。サイバーパンクに偏り気味な位置情報AR界に起こった、可愛らしさの革命は大きい。


このゲームは、位置データの収集と個人の動勢に、更なる集金方法と可愛らしさや希少性、競争、戦い、育成という、ビデオゲームだったPokémonの持つ基幹部分を叩き込んだ。そのおかげで、企業はデータだけではなく資金面でも益々潤っている。
人を行動させて、心をも動かす。とても良くできている、秀でたゲームのエッセンスが流用されている。

 

人の欲求に応え、時に煽り、時に慰めながら富を得ること、大きな目標に向かうようコントロールするのは、かつては為政者の役割だった。
それが今や企業が担い、そのフロントには常ににこにこと、小さな頃から親しんできたPokémon達がいる。

 

かつてディズニーが歩んだように、Pokémonも世界企業になろうとしている。


そういえば、古い時代のゲームは最先端のデバイスとプログラム技術で動いていたのだった。あらゆる時代に、その時大量に売れているハードで表現され続けるPokémonの世界。

 

コミックスやアニメに誤魔化されがちだが、あれは昔から、常に最先端のテクノロジーを、可愛らしさの外見で覆い隠していた。今の発表会はだから、Pokémonの本当の姿なのかも知れない。

 

こう書くと、あたかもPokémonのことをよく知っていて親しみもあるように思われるかもしれないが、私はゲーム版のPokémonを一度もクリアしたことがないし、数本積んでいる。サトシもよく知らない。