sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

魔法のない暮らし(テーマ 水)

朝風呂

 

仕事は不首尾だ。言ったことを違える人や、我を通して捻じ曲げる人が多すぎる。人ばかりでなく自分も力がない。

 

風呂。

 

湯を貯める。唯一リラックスできる時間。
普段防水のとても古いAndroidを持ち込んで、音楽を聞いている。もう、防水能力が維持されているのかだいぶ怪しい。諸々疲れていたので当たり障りのないピアノ曲澤野弘之作曲のなにかを流していた。プレイリストはランダム再生だが、そのどれもが物悲しい。

 

業務上の返信ミスがないか気になり、ツイッターを確認した。それは問題なかったのだが、Androidの有料ライアントアプリから創作用アカウントだけが外れていたので、アカウント名の確認と再認証のために仕事で使っているiPhoneが必要になった。入浴前に充電のため、PC横に放置してある。


アプリが上手く機能しないことはままあるので風呂上がりに直そうかと思ったが、アカウント丸ごと消えているのも気分が悪いので仕方がない。復旧のため、iPhoneを取りに戻る。このためだけに身体を拭くのも面倒だ。寒い。

 

ざっと拭いて、水滴を経路に残して風呂に戻る。

 

iPhoneアプリ内のアカウントは連携されたまま残っていた。

パスワードは、アプリ内に残っておらず、わからないままだ。結果、Androidでの認証に何度か失敗した。
何回までなら失敗してもよかったっけ、と思いながら、思いついたあるパスで通過。通過したらホッとして、その上急にiPhoneが鳴動したので、何のパスワードを入れたのか忘れてしまった。

二段階認証でSMSにコードが送られてきたのだ。見ると、数値を確認する間もなくポップアップはすぐに隠れた。必要なときは早く消える。

 

ままあることだが、アカウントがAndroidアプリから外れていた場合、まずは不正アクセスを疑う。
二段階認証が必要になったのも不正アクセス対策のためで、こうして、最初は物珍しくて便利だった技術も突破する術が行き渡るとただ不便になっていく。
陳腐で、哀れで生々しい行為になる。
余計な機能が付帯され、複雑化してどんどん原始的になっていく。そのうちに、その過程のどれかが無くてもあまり支障がなくなるのだ。男性の補完されない染色体のように。

 

パスワード。

老人がパスをぜんぶメモに書いて自宅PC周りを埋め尽くしている光景を思う。

なにか作業をする場での、視覚的な位置や空間を伴ったメモや付箋。


創作家のプロトタイプや部材、工具類で埋め尽くされた作業場は美しい。その美しさは、結果アウトプットされた成果物や目標よりも美しいことがある。

 

そうした過程は、本来見せるためにあるものではないのだから、ごく親しい人か仲間、本人しか知らない方ものである方が良い。

 

人がなにかを成すときに、過程を評価軸に置いても良い間柄とそうでない間柄があるが、過去を振り返るに、創作家で有名人ともなるとそうも行かないようだ。


昔の文人や作曲家、画家が、手紙や写真、破り捨てたものまで公開されて、それを知った人が、その人の生き方込みで作品を愛好することがある。

 

それとは、出来る限り切り離して評価してくれないか、と心の中で願うことがある。無理な話だが。

 

二段階認証の話だった。

 

かつて、医学や科学が体系化される前の時代の不便さに可能性を感じたり、美しさを感じるように、今またテクノロジーが高精度に集約されていく過程に生じるこの混乱も、自分が当事者でさえなければ非常に美しいものに思う。


史劇にダイナミズムを感じたり、物語に共感することで心動かされるのと同様に、他人事というのは、不便さや不都合さ、そこで苦しむ人に対しても当事者意識を持つことなく、気軽でありながら共感して、感動することができる。

 

共感というのは、「私はあなたではありません」という、境界あることで成り立つ。当事者は自分に共感することができない。共感することは、だから、同一ではないということで、寂しさの証左だ。

 

私は、誰かに共感している時に、上記のことを強く意識する。

 

「私は当事者ではないから、その一部分だけをより一層増幅して感じているのだな」

 

強い感動や悲しみを受けるほどに、そのぶん省略されて感じ取ることができないことはたくさんあるだろう。それを自覚することに、消して重なりきることのない、体温を知らない寂しさを感じる。

この寂しさは日常、人と関わる時間のどこかに常在する。

 

二段階認証から境界の話になった。
「特に劇的なこともなく、ただめんどくさい、こんなどうでもいいつまんないことしてる自分、今を生きてる感強いな」
と実感したので記した。

 

この生命感は何の感動も呼ばないし、きっと伝わらない。

シンギュラリティまだ来ない。美しくない。