sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

短編「月光生」

「つまり、自分が永遠でなくなるのが怖いと。お変わりありませんね。最近は、こういう薬が出ていて……」
痩けた頬に最低限の化粧だけをした医師が、視線を決してこちらに向けないままディスプレイに示したのは、半月状の種子だった。
今日ようやく診察にやってきたわたしは、しばらく人と話をしていなかったので、咄嗟に声が出なかった。「はあ」と言ったつもりが、嗄れた鳴き声のような音が出た。
「ちょうど試供品があります。試してみますか」
うなずいて、マニキュアが剥げて爪の根元が白くなった、乾燥した手を差し出す。力なく掌を向けた。半月の種子が、弱々しい生命線と運命線の交錯する窪みに置かれた。
「飲んだ後は、夜だけ起きていてください。よく月の光を浴びて」
満月を眺めながら帰宅した。6畳一間のアパート。ロフトには本が詰め込まれている。窓辺に腰掛け、半分ほど残していたペットボトルの水で月の種子を飲み込んだ。
それからだ。月と会話ができるようになったのは。毎夜、唯一無二の、心から話せる友達。やがて半月となり、新月が近づくにつれ、月の声は弱っていった。それと歩を合わせるようにして、私の胸元、心臓の近くに小さな痼ができ、膨らみ始めた。日々、自覚していたのだ。次第に意識は空へ昇るようにして遠退いて、身体から引き離されているということに。

新月
再び下弦の月となるころに、私はうっすら意識と視界を取り戻した。
私は空にいた 。目を細めて地球を見下ろしていた。それは、眩しく、また暗くなり、影に日向に移り変わる。私は月だ。月の満ち欠けと同じ広さの視界を持っている。
ああ、あの海辺、あの島、あの小さな町のなかの小さな窓辺。重いカーテンが開いている。月はこうして毎夜、あの部屋を照らしたのだ。そこには、かつて私だった肉体がある。細く投げ出された脚。枯れ枝のような腕と手首。白い喉元。それは私の眼差しと等しいさらさらとした月光を受けて動かない。胸元から植物の茎が伸びていた。その先端にうす白い蕾が頭をもたげ、やにわに白い花が開き、開ききってからたわみ、散って、青い実を付けた。やがてその実も萎み、落ちて、半月状の種子が残った。
翌深夜、あの医師が検死にやって来た。種子を摘み上げ、ちいさく口を開き、わずかに舌を伸ばして乗せて、ゆっくりと飲み込んだ。そうして、すぅ、と私を見上げて微笑んだ。私は思わず話しかけた。
「先生、効きましたよ」
「やっぱり。よかった。次は、私と」
朝焼けを遠くに感じながら、私たちは眠りに落ちた。