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sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

お試し1章 街角の喫茶店へ 1/5 タイトル『2oH-2o39』

小説 文フリ東京 試し読み

 

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 小説タイトル『2oH-2o39』(つーおーえいち‐つーおーみっく)

第一章

 

 街角の喫茶店へ サンプル 1/5 過去を回想~2004年春まで

春先の東京は埃っぽい。今年も花粉症なのかそれ以外なのか判然としないまま、鼻をすすりながら帰宅して、軽く残り物を食べてシャワーを浴びて夜、部屋に一人でいる。やっと人心地ついたような気持ちになって、いつの間にか鼻がむずむずしていないことに気がつく。

部屋の灯りを消して、ぼんやりと光るディスプレイの前に座る。私のプロフィールを記す欄の、文字入力カーソルと、そこからの空白を眺めている。カーソルは拍動のように明滅している。キーボードの上に添えられた私の指先を伝って、目の前に私の脈が表示されているように見える。

そのカーソルの先に、私のプロフィールを書こうとしている。今までのことを、ゆっくり思い出している。何を書いて、何を書かなければいいんだろう。

 

今はもう社会人になって、そつもなく、当たり障りもなさそうに生きている私も、かつてはこの都市で、自分らしさを追いかける、それなりに大学生らしい生活を送っていた。私は元々、人とのコミュニケーションが苦手だったから、いろいろと迷走して遠回りをしたと思う。だけれどもしかしたら、こういう苦労は私だけではなくて、誰もがこんな感じでいろんな経験をして、悩んだりもするのかも知れない。そのことを誰にも言わなかったり、記録に残さなかったりして、なかったことにしているのかも知れない。時間が経って、忘れてしまうのかも知れない。と思った。

 

この間、札幌郊外の実家に帰省したときに、母はまた、「あんたは小さい頃から無口だった」と言った。暖房の効いた実家の部屋は乾燥気味で、私は喉が乾いていた。それを察した母はお茶を淹れてくれて、「はいよ」と差し出した。中学生の時に買ってもらった湯呑みには、紫芋のキャラクターがプリントされている。私のお気に入りだ。私はそれを無言で受け取って、テレビを見ながらこくり、と飲んだ。「ちゃんとありがとう、って言いなさいな」と言われた。これまでも何度か、「ちゃんと返事しなさいな」とか、「本当に喋らんからさー」とむくれて言われている。もしも、私が実際には無口ではなくて、人並みに喋るぐらいだとしても、こうして言われ続けるとなんだか、物心ついたときから無口だったような気がしてくる。今になってそういえば、と、あれこれ思い出してみると、幼稚園や小学校など、大勢の子供の中にいる私はたぶん無口で、独りでいることが多かったような気がする。みんなで笑ったりするときに、一緒に笑ったりしていたけれど、それはみんなが笑っているから同じようにしなければ、と思ってしていただけで、何が面白くて笑っているのかわからないことが多かった。理解が追いついていなかったのかも知れない。帰宅しても母の帰りが遅いので、誰もいない部屋で宿題をしたり、テレビを見ているしかなくて、テレビでみんなが笑っていると、一緒になって笑った。きっとそれを、学校に行ってもしていたのだろう。いつの間にか眠って、気がつくと母がいて、母は眠そうで、私は母にくっついて、朝は布団の中でごろごろしたり、クスクス笑ったりしながら、母を起こさないように気をつけて過ごしていた。学校に行くまでが母と過ごす時間だった。毎朝母と離れたくなくて、ぎりぎりまで家を出なかったから、近所に住む同じ学校の生徒と登校したことがなかった。

 

中学生になってすぐに、私の家庭には母しかいないことを言いふらす同級生がいて、たまらなく悔しくて、私は学校で暴れた。あっという間に周りは静かになって、それ以降誰もが、私の前でそのことを言わなくなった。入学したての頃は、少し友達ができそうだったのに、みんな空々しくなって、夏休み前に私は孤立した。休みが開けて、そこそこみんなが、私が暴れたことを忘れたり、無関心になったりして、またそれぞれが変わって行こうとしていた。私はできるだけ自然に、その中に居ようとしていた。自分が孤立しそうな空気を感じると、最低限その場に居ても違和感のないように、合わせようとした。そこそこ一緒に笑って、あとは静かにしていた。私も周りもそうして私が溶け込んでいることに慣れていった。だけれど、最初に暴れたことが消えることはなくて、時々、怖がられている雰囲気があった。私は、自主的には、外に向けて自己主張をしないようにしていて、心の内では色とりどりに考えたり感じたり、悩んだりしていたのだけれど、周囲からは、触ってはいけない奴、というカテゴリーに入れられていたようで、あまり怖がられるのも困るから、静かにしていることが楽だったし、慣れた。

 

高校生になって、中学の初めの頃の私を知っている人はだいぶ減った。環境が変わったのに、落ち着いて過ごせるようになった気がした。母から進学を勧められた。私は、私にはそんな機会はないと思っていたので驚いた。母は、「進学以外でここから出る手段はあんまりないよ」と言った。「寒いし」と付け加えて、笑っていた。金銭的にはすごく厳しいという話をして、探して、学校帰りに入れるレジ打ちのバイトを始めた。強制的に入らなければならない部活は担任の取りなしでなんとか免除されたけれど、その担任は翌年から他の学校に異動させられたようだった。私は怖くなったけれど、母には心配をかけたくないし、誰にも言えなくて、黙っているしかなかった。同級生はみんなそれぞれに、楽しいことがあったり、悲しいことがあると、そのことをそれぞれの友達や仲間に、賑やかに、積極的に伝えあっていた。みんな、毎日訪れる瞬間全てがとても大事で、それら全てがその場限りでもあって、だけれどその場その場の、一瞬の積み重ねで自分を作っていた。その中で静かにしていた私には、ただ静かなだけの積み重ねが、夜に降り出した雪のように音もなく積もっていた。それはそれで確かな私なのだけれど、もしかしたら私にもみんなと同じように、華やかな生き方や未来があるのではないかと淡い期待を抱いて、それは次第に大きくなっていった。私にそんなことが、と、勘違いかも知れないとは思ったけれど、今まで周りに合わせて過ごす習慣で来たから、高校でも同じように、周りに合わせて、そう信じることの方が自然だと思った。だから私も、人に対して、自分の感情を伝える行動をしようとして、まずは明るく喋って振る舞おうとしたのだけれど、それまで静かに過ごすことしかしていなかった私は、伝える言葉と表情の組み合わせが下手で、タイミングも悪くて、上手くいかなくて、孤立する怖さが胃の底から湧き上がり、胸元をぐるぐると回ってきて、だから、やっぱり静かにしていた。心の中では、それでも、いつか必ず晴れやかな、いいことがあるからと、自分に言い聞かせながら過ごしていた。本を読んだり、時々音楽を聞いていて、私にも気持ちの上下は豊かに、時々激しくあった。そのことは、母にも言わなくて、バイトを終えて、帰宅して家事をして、受験勉強をするだけの日々を過ごした。私の高校時代は、結局中学の頃とあまり変わらず、周りに馴染むというよりも、みんなと一緒に居るようでいて、誰に覚えられることもなくて、どこにでもいる一人だった。

 

母も闇雲に私に進学を勧めてきた訳ではなくて、私の成績はそこそこ良くて、だいたい学年10位以内のところにいた。淡々と受験勉強をすることだけは、この先の就職や、暮らし、といった、現実的な未来に繋がるし、母も安心するので、ただ習慣として続けていた。テストの結果が数字で出ることが、自分の存在に疑念を挟む余地がなくて楽だった。これまでも、これからも、自分が何者でもない、という怖さに対して、点数で順位やランクが決まる安心感もあった。自分らしさには基準がないけれど、成績にはしっかりとした基準がある。

 

レジ打ちのバイトをしてから家に帰る日々のなかで、ごくたまにシフトが入っていない日があって、放課後にぽっかりと空いた時間ができて、その時間がとても嫌いだった。空いた時間は、余計なことを考えてしまってよくない。高校までは遠かったからバス通学をしていたのだけれど、朝、バス停で、なかなか来ないバスを待つ時間は嫌ではないのに、放課後はだめだった。グラウンドから部活動の、大勢の掛け声が聞こえてきたり、学校前の商店街を、何人かの生徒たちが笑いながら小走りでどこかへ向かう、私にはない生き方を見てしまうのが辛かった。

 

まぶしくて短い夏が終わり、秋の夕日を見るよりも先に冷たい風を感じて肩をすくめながら、急ぎ足で帰る途中、背後にある傾いた陽に、自分の影が絞られて、長く伸びているのを見た。影はそのままずっと伸びていって、細く絞られていって、潰れて消えてしまうのではないかと思うと怖くなって、そんな考えをどこかへ飛ばそうと慌てて手を動かした。影の手も動いて、まるで私に手を振っているように見えた。私が早く手を振ると、影も早く手を振る。大きく振ると、影も私にも向けて大きく手を振って、それは誰かが私にも向かって、楽しそうに手を振っているように思えた。多分、にっこりと笑っている。影の中の口元が動いて、またね、と声が聞こえてきそうだった。だから私は、時々、私の影へ向かって、手を振ることがある。

 

東京にある大学に合格した。慌ただしくいくつかの手続きや、荷造りをする日々が続いて、卒業式を終え、出発の朝を迎えた。窓の外が光っていて、まだ雪は残るけれど、寒さは綻んでいて日差しが強く、軒先の氷柱から、幾筋もきらきらと水が伝って流れていた。母がいつもの湯呑みに、お茶を淹れてくれた。受け取って、両手で包んで、じっとしていた。これからバスと電車を乗り継いで、飛行機に乗らなければならない。母と玄関まで来て、ぐすぐすとして、鼻をかむためにマフラーを外したりしていたら顔がぐずぐずになったので、一度居間に戻ってちゃんと鼻をかんでから洗面所へ行った。バスの時刻表は当てにならないけれど、時間が近いので、気を取り直して外へ出た。玄関脇の灯油タンクの影に、雪が残っている。マフラーを巻いて、腫れた口や鼻を隠して、手袋をして、荷物を持って、母とバス停まで歩いた。歩道のあちこちに、ダンプでまとめられた、灰色の雪山が残っている。「好きなだけ、好きなだけ好きなことをしてくるといいさ。一生に一度、一生は一度。こっちのことは、いいから」と、母は言って、続けて何か言おうとして言葉に詰まった。そのまま黙々と歩いて、二人とも無口だった。雪解け水の滴り落ちるバス停に着いた。誰もいなかった。あちこちから、根雪が溶けて割れる音や、水滴の音がしていた。私は、「戻ってくるから」と言った。母は鼻を鳴らして、「景気も悪いし、寒いし、だめさ」そう言って笑って、「せっかく大きくなって。好きなことしてもわらないと困るよお」と言った。向こうの辻からエンジン音がして、こんな時に限って、時間より少し早く、交差点を曲がったバスが、車体を揺すりながら、こちらへ回頭していた。私は手袋を外して、母に向かって手を差し出した。母も手を差し出してきて、私の手を強く握った。私の背後でバスが、エアーを吐きながら停まって、ブザーと共にドアが開く音がした。手を離した。母は咄嗟にポケットから、小さなペットボトルのホットレモンにカイロを当てたものを取り出して、私の右手に握らせた。バスに乗って、扉が閉まって、席に座って母を見下ろすと、私を見上げてぽつりと、小さな背丈で、一人で立って、にこにこと笑いながら手を振っていた。口元が動いて、何か言っているけれど聞こえなかった。私もボトルを抱えたまま、片手で手を振って、何か言おうとして、口を動かしたけれど、言葉になっていなかった。バスが動き出すと、母は取り残されたまま、ますます小さくなって、遠退いていった。バスは揺れながら交差点を曲がり、私は座席に深く座り直して、ボトルのキャップを開けて、少し口に含んだ。温かで、甘くて酸味が少しあって、ゆっくりと沁みた。

 

 

 

 

つづく!

 

 

 このあと

 色々あります。

 演劇、劇団、演出、衝突、役者には向いてない、学業 救い 希望 「言葉」を信じて ひたすら書く日々 伝えること もっと、遠くの人へ言葉を届けたくて 突然に

 

 

おたのしみに!

 

余談 さて、今までタッチパネルで書いててすごく不便でしたて、ので、キーボードに切り替えてから一気にいけました!