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sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

同じ月の模様を見ているか

エッセイ 読み物

集まった子供達を大人があやす。

満月の描かれた絵本を開いて掲げ、それを正面から右の子供へ、左の子どもへ、ちゃんと見えるようにゆっくりと振りながら噛んで聞かせるように言う。

「お月様には、うさぎさんがいるんです!」

「わー」

いるんだ!その子供達のなかにいた子供のわたしは、そのとき初めて月にうさぎがいるということを知った。しかも、おもちをついているという。

そうなのか。うさぎがおもちを?食べるのか。どうしよう。ついこの間近くにあるうさぎ小屋で“どうぶつ触れ合い教室”をした後だった。なので余計に動揺する。あのうさぎは月にもいる。

杵と臼を使えるぐらいに大きく育つ、うさぎ。

 

小学生になり、帰りが遅くなった満月の夜に、山のちかくにある月を見ていた。おかしい。気になる。月の模様がどうやったらうさぎに見えるのかわからない。月の模様って模様にしか見えない。うさぎには見えなくないか。でも絵本でも周りでも月にはうさぎ、といういうことになっている。自分の頭がおかしいんだろうか。

うさぎと杵と臼の位置もよくわからない。模様のどこが杵でどこが臼なんだろう。さらにうさぎを当てはめると窮屈な感じがする。大きな2つの耳がどういう風にのびているのかもわからない。

なんかちょっと月の丸みに合わせて曲がってる?全体的にぐにゃっと。

月は丸いからなあ。

丸いあかりのような月は、玉なんだ。

その中にうさぎが閉じ込められている感じ。そうなのかも知れない。でも、そこにうさぎを入れちゃうと息ができなくないか。鼻がひくひくするうさぎを思い出してやっぱりおかしい。

 

小学生4年生ぐらいになった。昼休みと放課後に図書室に行って百科事典を開いて、文字と写真をたくさん見ている。動物、植物、自然、宇宙。銀河が怖い。広すぎる。どう想像したらいい、遠すぎないだろうか。ひかりのはやさ。ひかり?はっぶる。地球。地図、メルカトル図法。月の模様は海。しずかのうみ。水がない。

 

ある日、急に思い立って絵本を開いてみた。月にウサギが描かれたイラストが思いっきり描かれている。結構杵をしっかり振りかぶっていて、お餅がにょーんと延びている。

ウサギのイラスト。イラストとして書いてあるだけで、模様に合わせてないのでは!

もともとは、玉に閉じ込められた丸い月にぐんにゃりと押し込まれたウサギを、昔の人が模様を見ていて思い浮かべたのかも知れない!メルカトル図法みたいな感じで!

むかし話はイナバノシロウサギとか、ウサギが出てくる話が多い。ウサギとカメとかもそうだし、なぜだろう。ウサギオイシカノヤマというのはどういう意味だろう。

 

ちゃんと調べないとやばい。なにからしらべたらいいのかわからない。だから人に聞こう。

 

学校帰り、同級生に、「月にウサギっていると思う?」と聞く。「いるー、なんで知らないの?教えてあげるよ。月のウサギはね、」

やっぱりいるのか。

教わった結果、いる。でも、模様とは関係ないみたいだった。いるから、いるのだ。

そう見えないのに。聞き方が悪かったのかも知れない。

気がつくとわたしは、周囲の同級生からは、月にウサギがいることを知らない人になっていた。かなりひどいめにあった。ああ、いいよ。それでいいよもう。

 

 

月の模様は国や地域によってちがう。例えば、カニとか、え、カニ?と思うんだけど、違う。

持っている道具も違う。バケツを持った老婆。水桶を運ぶ男女。世界地図と月の模様の見え方をみると、道具を持ってるとか、人ではないとか、言い伝えによって、そこに住んでいる人の系統に繋がりがあるような気がした。

 

だとすると、ウサギの地域もあると思う。日本以外で。

知りたい…。もう聞けない…なにを調べたらいいのかわからない。あと、かぐや姫はどうなるんだ…。

 

 

これ以後、色んなことについて、だいたい黙って過ごしてきた。

言えばろくなことがなかった気がします。

 

このところ、尋ねたことを教えてもらえたり、一緒に考えてもらえる機会がありました。

詩歌の連作を読む、詠むということに悩んでいて、迷いがたくさんあったのです。

 

一方的ではなくて、打てば響くようにして同じ対象に向かって思考を巡らせるとき、共感を生むことがあるんだな、と気が付いてから、今回記した月のことを思い出しました。

過去にわたしは月を見て、模様を見てからウサギのイメージに当てはめようとしていたことに対して、多くの人たちはウサギのイメージを思い浮かべてから、模様を見ていたこと知りました。

 

ですから前提が異なっていたのです。

 

普段の暮らしで、「前提条件はこれです」ということを互いに確認しながら話す機会はあまりありません。

その役割を果たす詩歌など定型の世界や取り組んでいる課題が同じ、または近いことや、同じ世代でもそうですけれども、仕事や場所、何らかの枠組みというのは大事なんだな、ということを考えて、それがない状態で向き合って話すことは困難で、そうするためには互いに徹底的に向き合うしかないし、どうなんだろうな、と思いながら、まとまったかな。終わります。