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sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

文フリ東京に、SF小説で参加します。お試し4章と、全体まとめ。1F【D-11】Sanarix Studio『2oh-2o39』

小説 文フリ東京 試し読み

こんばんは。まだ夜なんですよ。

 

今までの更新で、11月23日(水・祝)文フリ東京(東京流通センター)E展示場1階エリア【D-11】で頒布する小説、『2oh-2o39』の、1章から3章までの試し読みを公開し、ご紹介して参りました。

 

今日は、4章の最序盤を掲載してから、全体のあらすじと、大まかに本書がどのような本か、すこしネタも織り交ぜて書いていこうと思います。

どうぞ最後まで、お読み頂けますように。

-第四章-

 

たどりつく先 

 

ああ、ゆれて。

でもたぶん、ゆめのなかかもしれない。

 

はじめは、空がぼんやりと光っているのだと思っていた。空はずっと白く伸びて広がっていて、ときおり陰ったりしてまた明るくなり、そして消えた。

いろいろな、夢のような、記憶のようなものが来る。繰り返している。

 

母、つらら、根雪、吹雪、そりあそび。毛布。テレビ。本。影のともだち。

稽古場へ道を急いでいて、白かった靴のつま先が黒く濁っている。ぼんやりとレンガ造りでない方のキャンパスへ行く。息を、吸い、吐いて。講義準備室に充ちたマーカーと古い紙束の匂い。文字を書くときに顔を近づけた、原稿用紙の放つ体温。先生。

居残りの夜のオフィスで照らし出される、明るく浮かんだ暗い表情。空港のタクシー待ちの肩に積もっては吹き崩れてはまた積もる粉雪。母から温かいお茶を受け取るときの湯飲み。紫。私の右手の皺。温かくて甘くて小さなペットボトルと白いカイロ。

そしてまた踏切が鳴る。

 

口を尖らせて、空を見上げていた。空にはばらばらの電線がいくつも滑って、束ねられて、またばらけてどこかへ広がって伸びて行き、どこかで収束してそれは街になる。地下の、暗い階段のふち。薄っすらとコンクリートのとい。ほの暗い、タイルの通路を歩くときに、きゃらりきゃらきゃらと自転車の音が、万華鏡の白く光る部分だけみたいに細く光る。打ち合わせに向かう先にあるはずの喫茶店への階段がある。金属の手すり。

ああ、まただ。また地面が揺れて、左手が冷たい金属に触れて、ああ、冷たい。

 

何の記憶なんだろう。

いつまでも、何回も。

 

また最初から。

 

時々明るくなる。時々誰かの声が聞こえる。「意識がある」とか「聞こえますか」とか、だんだん、「起きましたか」と、聞かれても起きられないから、答えられない、と思っている内に、また夢の中で夢が始まる。わからなくなった。

 つづく!

4章のはじめは、意識が朦朧としていて、何度も繰り返すような、夢か現かわからないような描写から始まります。

その後、これまで本文中の時間の流れや、現状を認識しながら、「わたしとはなにか」「これまで何があったのか」「これからどうしていくのか」を見出していきます。

 

時は流れて、そのぶん変化した技術があり、その説明部分は自然に説明されるように綴りましたが、私の力不足により、本書を一般文学として読まれていた方が、これはSF小説だなあ、と感じる部分も、あるかと思います。

 

私がSFというジャンルでできることは、入りやすくてSFとは思えないものを書いて、それが本格SFであった、ということをすることだと思っています。ですから、書いてあることが難しい、という意味で、本書がSFだと思われてしまった場合には、私の力が至らなかったということになります。

 

そうでないことを願っています。

*1

 

また、4章では、一人称を二つに分けて、読者にはどちらが自分であるのかを、状況に合わせて自問自答しながら読んで頂けるように記しました。

特殊なことだと思うのですが、本書を読む方がこれまれの物語に感情移入して読んでおられた場合には、4章に出てくる主体となる人格は、読者本人を含めて3人いる、ということになります。

 

その、どれが自分であるのかを、これまでの章のどこと繋がって、どうなっているのかを探して頂く楽しみ方も、本書は用意しています。

 

 

ごく後半、書き直す時間がなく、全く手直しができなかった活劇シーンの導入から終わりまでがあり、もしかするとわかり辛い部分があるかと思いますが、そこを超えて最後までお読み頂けたら、ぐるっと一周した感じで何か心に残るものがあるかと思いますので、どうか、お手に取って、お時間のあるときに、楽しくお読み頂けたらと思います。

*1:

余談になりますが、

私たちの暮らしは、長いスパンでみれば、たくさんの科学技術や体勢の変化があります。けれども、日々それに直面しながら適応していく私たちは、大きな変化に気付くことはそんなに、多くありません。

視点を離して見たり、長期的に俯瞰して見ていると、すごく変わったように見えるのですが、そこで暮らす人にとっては当たり前の変化として、それらと混然一体となって、私たちとその世界はできています。

 

10年前はスマホを持っていなかった人が、10年後にはずっとそれを指でなぞって、見ず知らずの好きな人にメッセージを送り、送られて、心を豊かにしているように、ごく当たり前のことを、できる人とできない人、できる世代とできない世代、できる時代とできない時代があります。その中で、個々が抱える思いは、個々に人である限り、それに適応しているという部分以外には同じ、喜怒哀楽の構造を持っていると思っています。

 

ですから私は、人と暮らしを丁寧に書いて行けば、文章で書いた場合には荒唐無稽な、魔法のように思える人や社会や技術の変化も、読者の方に読んで頂いたときに、慣れて頂けるように思い、それを心掛けて本書を書きました