一歌談欒vol.2 短歌読み企画 中澤系
目に見えるもの。耳に聞こえるもの。
外側から自分のなかに入ってくるものは、自分の内面と同化してしまう。
繰り返して過ぎてはまた来る日々に疲弊する。自分らしくあることはできないことすらも、自分らしく認識してしまう。
繰り返し、朝起きて、周囲と同化して、駅へ行く。
それぞれの、まあ似たような人の中に紛れる。周囲には、幸せそうなときの自分や、今の自分のような人もいて、同じように重なるのに、それぞれわかり合うことはできない。
そうして毎日、駅のホームには、自分のような、たくさんの他人で充ちている。箱詰めにされて、また戻ってくるために。
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
中澤系『中澤系歌集uta0001.txt』より
ホームにはいつものとおり、よく通る鼻声のアナウンスが流れて、自分の外側から流れ込んできて同化する。
ホームに立つ人々は、それぞれが無関心に俯いている。手元の端末を見ていたり、ただ下を向いて半眼でいる。どこかで知り合い同士なのか、喋っている人がいるぐらいで、足音や鼻をすする音以外には、衣摺れやバッグを持ち上げる音が響いている。
自分を含めて、みんなが勝手に、何を考えているのかわからない。何を考えているのかわからないようにしていることを共有して、他人に無関心になることが難しい距離で、ホームに並ぶ。誰の耳にも、同じアナウンスが入っている。
快速は、間も無く轟音とともに流れ込んで来る。もしもホームに転落したら、とても助からない。一瞬で、自分の存在を打ち消してしまうのだ。
もう考えなくて済む。繰り返さなくて済むことは、もしかすると、楽になることなのかも知れない。だけれどそれは、秩序と約束を崩し、そう考える主体も消滅させてしまう、してはいけない行動だ。
忙しくしていると、そんなことを考えなくても済む。だけれど電車を待つ時間は、繰り返される日々の中でも、特にスポットのようにぽっかりと人を閉じ込めて、考える時間とあやふやなストレスを生む。
そうして、消えてしまいたくなる。
快速が通過するアナウンスを合図に、すこし、ゆらりと上体が傾いて戻る。
局面を描くホームを横目に、幾人かが同じように、迷っているように見えた。
まるで、そんなことがないように、楽しそうに話しながら数人が、ホームを歩いて来る。
アナウンスに何を思うこともなく、線からはみ出して。
あぶないよ。
理解できない人は下がって。