sanaritxt’s blog

思考をぽつぽつ置いておくところです。

お試し「坂崖村地域侵攻録」第一章「残像」段三 途中まで

続き

 

 「焚き火トマト、って名前のお店があるんですよ。知ってます?」
 小西さんは早足で歩きながら、駅へ向かう石畳状に舗装された街路を進む。それに続いて私と菱田さんが並んで歩く。不思議なお店の名前だ。初めて聞いた。私たちは夜の街を泳ぐように、前を行くコートを着たサラリーマンや客寄せをすり抜けたり、すり抜けられたりしながら、黄色い塗装が細かく剥がれた車止めを避けたり、信号で立ち止まったりする。タクシーと高級車とスクーターが乾いた音を立てて通り過ぎる。水族館の巨大な水槽のような夜の街の音はだいたい乾いている、温かみを感じるのは人が出す音、吐息や話し声ぐらいだ。
 「知らない、トマトを燃やすの?」
 と、割と適当な受け応えをした。と思って言い直そうかと思ったが、ほかに言い様がない。菱田さんが「そうそう、燃やすんです」と、ふわっと笑いながら肯定してくれた。パスタか何かかな、と思い、「行きつけなんですか?」と聞くと、「そんなでもないかなあ、たまにね。」と言って、それに続いて小西さんが、「4〜5回行ったかな」と言いながら駅へ向かう道を一本左に折れて、裏手の路地に入る。急な上り坂になった。
 その先には街灯と街路樹と暗い空がある。両側にはマンションやオフィスビルが階段状に並んでいて、エントランスだけがぽつぽつと明るい。ほとんど人通りがなく、ずっと先に1人、茶色いコートに白いバックの女の人が、坂の向こうに消えた。小西さんが何かに躓いて、右手を大きく前に出し、前のめりになりながら左手と、左脇に抱える三角のそこそこ大きなバッグがこちらへ向く。私は咄嗟に手を出して支えようとした。そこに菱田さんの手も重なって、みんなちょっとぶつかってからすぐに体勢を戻した。何事もなかったかのように、また早足で歩く。気まずいわけでもなく、自然に歩調が戻る。私はすっかりイタリアンを想像していて、トマトソースのパスタを食べたいと思ったけれど違うかもしれないと思い、息をついて、
 「なんのお店?」
 と聞くと、菱田さんは「イタリアンBAR?って言ったらいいのかな」と言う。楽しみになった。すかさず小西さんが、「あそこです。イタリアン以外も出てくるんですけどね。洋食?」と言いながら指差す路地の先で坂道が終わり、小さくて誰もいない公園の奥に、もっと小さな光る看板が置かれている。近付いて見ると、茶色地に白抜き文字で、店名とイラストに彩られた看板があって『焚き火トマト』と記されている。美味しそうだし忘れられない店名だ。イラストも特徴的で、銅版画のうようなタッチに、フォークを刺したトマトが焚き火にかざされて滴っている。遠くから見たら目立つ色の看板でもないし、ぱっと見ではそんなに食欲をそそらない絵のように思えた。だけれど、見ていると心が落ち着く。そして、暖かいトマト料理の味が思い起こされて、口の中にじわじわと唾が湧いてくる。古い西欧の本の挿絵を見ているような気分なのに、すごく美味しそうだ。看板の脇にドアはなく、建物にぽっかりと2階へ上がる、ぼんやりとした階段への入り口があった。2人はことことと靴を鳴らして階段を上がっていく。続いて私も階段を上がる。ドアを開ける音と、小西さんが店内へ挨拶をする声がして、それはドアベルの音に混ざって聞き取れない。オレンジ色の灯りが漏れて、ふんわりとバジルの匂いがする。美味しそうだ。続いて菱田さんが丸い銅のドアノブを握り、店に半身を入れて振り向くと、逆光のなかで表情が見えないままで私に、
 「トマト無い日があります」
 と言うので、私は吹き出してしまった。

 

300字短編「消せないほくろ」(オリジナル)

今回も「Tw300字SS」さま(@Tw300ss)の短編ショートショート掲載企画に参加します。

 午前9時までならぎりぎり間に合うかも知れない、ですが、遅れました。

欄外かも知れませんね。次は時間を守れたらいいな。

 

第30回。お題は「飾る 飾られる」でした。ざっと300文字以内。 

 

ここから本編です。

 

「消せないほくろ」

私は今日も、鎖骨の下に一つほくろを描く。

最初は偶然だった。小学生の頃にペンを逆に持っていて、たまたまここに一つ点を打ってしまった。痛かった。

そのことはすぐに忘れたけれど、大人になってとても嫌なことがあって、もう立ち直れないと思ったときに、ペンを持って夢中で、そこに点を描いた。幸せだった頃に戻れるような気がして。

今一緒にいる優しい人は、私の鎖骨の下にはほくろがあると思っている。長い時間一緒に過ごしたら、深い関係を結んだら、この飾りのほくろは消えて、今の幸せも消えてしまうかも知れない。

その怖さから、私は今日も早い時間に帰る。その人は優しいから、笑顔でそれを許してくれる。

二人とも飾っていて、苦しい。

 

@TxtSana

#Twitter300字ss

 

お読みいただきありがとうございました!

 

今まで書いた短編をまとめたい気分になってきました。冊子にしたい、わからないけど、需要があったら嬉しいです。

 

ストーリーが特に何もない本がよくわからないと言われること

こんにちは。

 

前掲の試読小説が段々形になって来ています。

代わりに分量が増えているので、一息に読み切れるものでなくなりつつあります。

また、更新を重ねるうちに構成が変わり、話の流れに変化があるところもあれば、本の記述そのままのところもあるので、読んでいて混乱を招いたり読み飽きたりすると思います。ですよね。

なので消そうと思い始めたところです。

 

日常生活と異なり、小説は応答式ではありません。だから、書けば書くほど一方的になっていくことがあります。

 

本を読むうちに、良い感情もそうでない感情も抱かれることと思いますが、それが狙って表現されたものであれど誤解されたものであれども、読んだ人の心に、そのどちらかが雪だるま式に膨らむ可能性があります。できれば良い方向であって欲しいです。途中読んでいて辛くとも、最後にはそうであって欲しい。

 

そういえば。以前言われたことがあるのですが、私の本は全然話が進まないらしいです。

 

書き方の問題かなあと思うのですが、どうなんでしょう。

ざっくりと必要な場面を決めたあと、場面と場面の間を文章で繋いでいく書き方をしています。

 

今回の短編は、

「残業して会社からコンビニ寄って帰って来て副業してから寝て翌日休みで昼前に起きて駅の百貨店の上の階にある本屋に行って、本を手に取って元に戻す人と目が合って反らす」

 

これだけなのに、量がどんどん増えていきます。本を一人で書いていて文字数が多いのは良くないんですよ。書いている本を、知らない人が読んだらどう思うのか、って人に聞けないままブラッシュアップしていくと、引き返せなくなりますよね。

 

書く文章量もそう。多さにも個人差があるのですが、たくさんの人に読んでもらいたい文章量には適正な量があります。

そして、それよりもすこし少ない方が、読む側にも書く側にもいいと思います。

私は元々増えやすい方なので、厳しいですね。

 

私が今回書くことで挑戦してみたのは、第三者の主観の再現を広範囲に、活字で再現することでした。

記された活字を追うことで、読む人に他人の体感が再生されたらどうなるのかと思い書きました。

それは視覚だけに頼ったものではないので、できるだけ引いた状態で、でも主観は頼らないといけないから、色彩や音、心象を多く入れます。

書き出しているイメージとしては、心象や五感情報入りっぱなしの主体を展開して、もちろん都合の良い色彩とか質感しか書けないのですが、できるだけ広角で時間もあまり区切らないで展開している感じです。

伝えるのが難しいな。

カメラもカットもある程度決めることはあるけど基本主観なので、印象深い光景や体験があれば読む人が記憶するとか写真撮るとか歌や句にしてくれたらいいなあと思って。

 

文字情報で現実っぽい世界が現実ではないのに読む人に再現されるのはかなり面白いと思うんです。幻想寄りになるのかな。

 

ただ、このままだと、このあとストーリー性の強い長編に繋げるのは無理かな、と思っています。

 

そうそう、現実の再現と言えば、昨年からVRとか、あと数日で振動再現とデバイスが出て、なんかどんどん実在しなくてもよくなってますけれども、私はその体験が事実と認めるならばそれでいいのではと思います。

ソフトウェアやハードウエアでもある私たちも、そう思いながら生きていることもあるし、それはそれとして、私は見えない繋がりを信じているタイプです。根拠があるなしではなく、そうであればこそ持てる意志や行動があって、私は本を書いています。

 

デジタルやアナログのことを書いていて思うのですが、デジタル媒体は表現の階調がまだ足りなかったり不器用であるだけで、昔から残されている人が作ったたくさんの、残されたものの痕跡をみると、世界全体はずっと、そのときにできる技術を使って、なにかを作っていますよね。

いま私が書くこの文章もデジタルデータですね。

 

唐突に、プリントアウトして読むのが好きだな、と思いました。

ああ、手書きもいいなあ。

 

同じ月の模様を見ているか

集まった子供達を大人があやす。

満月の描かれた絵本を開いて掲げ、それを正面から右の子供へ、左の子どもへ、ちゃんと見えるようにゆっくりと振りながら噛んで聞かせるように言う。

「お月様には、うさぎさんがいるんです!」

「わー」

いるんだ!その子供達のなかにいた子供のわたしは、そのとき初めて月にうさぎがいるということを知った。しかも、おもちをついているという。

そうなのか。うさぎがおもちを?食べるのか。どうしよう。ついこの間近くにあるうさぎ小屋で“どうぶつ触れ合い教室”をした後だった。なので余計に動揺する。あのうさぎは月にもいる。

杵と臼を使えるぐらいに大きく育つ、うさぎ。

 

小学生になり、帰りが遅くなった満月の夜に、山のちかくにある月を見ていた。おかしい。気になる。月の模様がどうやったらうさぎに見えるのかわからない。月の模様って模様にしか見えない。うさぎには見えなくないか。でも絵本でも周りでも月にはうさぎ、といういうことになっている。自分の頭がおかしいんだろうか。

うさぎと杵と臼の位置もよくわからない。模様のどこが杵でどこが臼なんだろう。さらにうさぎを当てはめると窮屈な感じがする。大きな2つの耳がどういう風にのびているのかもわからない。

なんかちょっと月の丸みに合わせて曲がってる?全体的にぐにゃっと。

月は丸いからなあ。

丸いあかりのような月は、玉なんだ。

その中にうさぎが閉じ込められている感じ。そうなのかも知れない。でも、そこにうさぎを入れちゃうと息ができなくないか。鼻がひくひくするうさぎを思い出してやっぱりおかしい。

 

小学生4年生ぐらいになった。昼休みと放課後に図書室に行って百科事典を開いて、文字と写真をたくさん見ている。動物、植物、自然、宇宙。銀河が怖い。広すぎる。どう想像したらいい、遠すぎないだろうか。ひかりのはやさ。ひかり?はっぶる。地球。地図、メルカトル図法。月の模様は海。しずかのうみ。水がない。

 

ある日、急に思い立って絵本を開いてみた。月にウサギが描かれたイラストが思いっきり描かれている。結構杵をしっかり振りかぶっていて、お餅がにょーんと延びている。

ウサギのイラスト。イラストとして書いてあるだけで、模様に合わせてないのでは!

もともとは、玉に閉じ込められた丸い月にぐんにゃりと押し込まれたウサギを、昔の人が模様を見ていて思い浮かべたのかも知れない!メルカトル図法みたいな感じで!

むかし話はイナバノシロウサギとか、ウサギが出てくる話が多い。ウサギとカメとかもそうだし、なぜだろう。ウサギオイシカノヤマというのはどういう意味だろう。

 

ちゃんと調べないとやばい。なにからしらべたらいいのかわからない。だから人に聞こう。

 

学校帰り、同級生に、「月にウサギっていると思う?」と聞く。「いるー、なんで知らないの?教えてあげるよ。月のウサギはね、」

やっぱりいるのか。

教わった結果、いる。でも、模様とは関係ないみたいだった。いるから、いるのだ。

そう見えないのに。聞き方が悪かったのかも知れない。

気がつくとわたしは、周囲の同級生からは、月にウサギがいることを知らない人になっていた。かなりひどいめにあった。ああ、いいよ。それでいいよもう。

 

 

月の模様は国や地域によってちがう。例えば、カニとか、え、カニ?と思うんだけど、違う。

持っている道具も違う。バケツを持った老婆。水桶を運ぶ男女。世界地図と月の模様の見え方をみると、道具を持ってるとか、人ではないとか、言い伝えによって、そこに住んでいる人の系統に繋がりがあるような気がした。

 

だとすると、ウサギの地域もあると思う。日本以外で。

知りたい…。もう聞けない…なにを調べたらいいのかわからない。あと、かぐや姫はどうなるんだ…。

 

 

これ以後、色んなことについて、だいたい黙って過ごしてきた。

言えばろくなことがなかった気がします。

 

このところ、尋ねたことを教えてもらえたり、一緒に考えてもらえる機会がありました。

詩歌の連作を読む、詠むということに悩んでいて、迷いがたくさんあったのです。

 

一方的ではなくて、打てば響くようにして同じ対象に向かって思考を巡らせるとき、共感を生むことがあるんだな、と気が付いてから、今回記した月のことを思い出しました。

過去にわたしは月を見て、模様を見てからウサギのイメージに当てはめようとしていたことに対して、多くの人たちはウサギのイメージを思い浮かべてから、模様を見ていたこと知りました。

 

ですから前提が異なっていたのです。

 

普段の暮らしで、「前提条件はこれです」ということを互いに確認しながら話す機会はあまりありません。

その役割を果たす詩歌など定型の世界や取り組んでいる課題が同じ、または近いことや、同じ世代でもそうですけれども、仕事や場所、何らかの枠組みというのは大事なんだな、ということを考えて、それがない状態で向き合って話すことは困難で、そうするためには互いに徹底的に向き合うしかないし、どうなんだろうな、と思いながら、まとまったかな。終わります。

俳句と300字短編「給水塔の空」(オリジナル)

「Tw300字SS」さま(@Tw300ss)の短編ショートショート掲載企画に参加します。

 

先行して、ツイッター俳句企画 「せつない句会」さま(@setsunaikukai) へ投句した俳句があります。

その際の様子はこちら(ツイートへのリンクです)

https://twitter.com/setunaikukai/status/827532307183525889

 

春立ちぬ給水塔の空ひとつ / りんた

 

この句を作る素、のようなものを、今回の300字SSに記しました。

第二十九回、お題は「氷」でした。氷雨、氷河、氷菓など、様々な氷のある光景がテーマです。

お題ツイートの詳細はこちらです(同じくツイートへのリンクです)

https://twitter.com/tw300ss/status/827759043821268992

 

私の短編はここからです。

お読みいただけたら嬉しいです。

 

給水塔の空

「じゃあ、またね」
朽ちた給水タンクの中の、丸く切り抜かれた水面に、肩を寄せる二人の姿が映る。背後の青空が霞んで、ぼんやりと春が来ている。花と土の匂いが微かに漂い、蜂が通り過ぎた。鍵の壊れたタンクの蓋を閉めると二人はひとり一人になる。梯子を降りて別れた。数年、ここで一緒にいたのに、今夜からは田舎と都会に別れる。
その夜は急に冷え込んだ。二人の夢をみた。唇から白い息が漏れて朝になる。隠れて給水塔へ向かった。
冷たいタンクの肌に触れる。壊れた蓋を開けた。そこに二人の姿はない。水面すらもない。薄ら歪んだ氷が張って、いくつも亀裂が入って自分の姿すら形にならない。空がほの白い。

この空はいつも変わらずに一つだ。

 @TxtSana

#Twitter300字ss

 

とても遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします!

文フリ東京に、SF小説で参加します。お試し4章と、全体まとめ。1F【D-11】Sanarix Studio『2oh-2o39』

こんばんは。まだ夜なんですよ。

 

今までの更新で、11月23日(水・祝)文フリ東京(東京流通センター)E展示場1階エリア【D-11】で頒布する小説、『2oh-2o39』の、1章から3章までの試し読みを公開し、ご紹介して参りました。

 

今日は、4章の最序盤を掲載してから、全体のあらすじと、大まかに本書がどのような本か、すこしネタも織り交ぜて書いていこうと思います。

どうぞ最後まで、お読み頂けますように。

続きを読む

お試し 3章 「重い水密扉を目指して」 2/5 小説『2oH-2o39』

こんにちは。第三章の試読をアップします。

これまでお読み頂いているだけでも、すごく嬉しいです。

どうか、文フリの会場で購入していただけますように。

本書が、本書を読む人にとってよい読書時間や体験の一つになってくれたら、と願っています。

 

小説『2oH-2o39』

 

 サンプル

 第三章

 

 重い水密扉を目指して  3/5  新秩序 2024~2033 

続きを読む